8月2日(土)。昨日から雨が降っていたこともあり朝は風もあって比較的涼しかったのですが、昼前に外に出た頃には日射しが強くうだるような暑さになりました。なるべく日かげを歩くようにはしていたのですが、それでも空気そのものが熱されていてはあまり意味がありません。駅に着くころには雨にでも打たれてきたかのようにシャツが汗でびっしょり。早く夏が終わらないかなぁ、と思いながら今日も映画を見に行くのでした。
入国審査とは
今日紹介する映画は「入国審査」です。2023年公開のスペイン映画で、監督は今回が長編映画初監督となるアレハンドロ・ロハスとフアン・セバスチャン・バスケス。撮影に17日間、予算は65万ドルと低予算、タイトなスケジュールで制作されましたが、サウス・バイ・サウス・ウェスト(SXSW)をはじめ様々な世界中の映画祭で上映され、最優秀作品賞・新人作品賞・観客賞等様々な賞を受賞しています。昼過ぎの上映会に行ったのですが客席はほぼ満席で、映画好きの中ではかなり注目されていたのかな、と感じました。
上映時間はわずか77分と近年の映画の中ではかなり短い部類に入りますが、嫌な気分になる状況が終始続くので、これで90分や120分だったらちょっと食傷気味になっていたかもしれません。またシーンもほとんどが閉鎖空間での執拗な尋問なので、この時間の短さがちょうどいいと思います。
エンディングの意地の悪さとエンドロールで流れる曲で打ちのめされる
まず映画の冒頭では本作の主人公であるベネズエラ人のディエゴ(アルベルト・アンマン)とスペイン人のエレナ(ブルーナ・クッシ)がタクシーに乗り込み、車内でパスポートを探したり、電話で友人や両親に挨拶したり等仲睦まじい様子が描かれます。どうやら彼らはスペインからアメリカへ移住するとのこと。その後シーンは飛行機内に切り替わり、エレナが寝ている横でディエゴが立ち上がりトイレへ。何やら薬のようなものを数滴飲んだ後、鏡に向かって入国審査での受け答えの練習をするのですが、なんかとても思いつめた様子。
飛行機がニューヨーク空港に到着し、二人はそこからマイアミ空港行きの飛行機に乗り換えるため飛行機を降りて入国審査の列に並びます。ようやく二人の番になり18番カウンターの前に立ち、パスポートを渡し、指紋・顔写真を撮られて、これで審査は終わり、ようこそ夢と自由の国アメリカへとなると思ったら入国審査員が二人のパスポートをビニール袋に入れて、「ちょっと一緒に来てください」と同行を求められます。指示に従いついていくと、そこは薄暗く空気の淀んだ感じの待合室。外でディエゴの兄を待たせているので電話をしようとすると電話は不可。食べ物も飲み物もない場所で30分ほど待たされると二人は呼び出されて小さな部屋へと連れて行かれます。そこで荷物をチェックされ、携帯電話の電源をオフにしてスーツケースの中に入れ、ボディチェックと麻薬犬による検査を経て、女性の入国審査官バスケス(ローラ・ゴメス)が登場。ここから二人に対する執拗な尋問が始まります。
何の理由の説明もなく続けられる尋問の中で次第にこの映画の全体像が見えてきます。まずディエゴはエレナに対して様々な隠し事がありました。アメリカへの入国は初めてではなく、過去に何度か移民申請をしていたことがあり、そのうちの1回は婚姻ビザが取れていたこと。婚姻ビザの相手は10歳年上のアメリカ人女性でネットでのやり取りのみで一度も合ったことはなく、結局うまくいかず別れていたこと。そして別れた時期がちょうどエレナと知り合った3年前だったこと。そしてエレナが申し込んだグリーンカード抽選はエレナ自身が望んだものではなくディエゴに促されて取得したものだったこと。すべてが明るみになったことによりディエゴとエレナの間の信頼関係は完全に瓦解します。
ディエゴには彼なりの言い分もありました。彼はベネズエラ出身で、ベネズエラは治安が悪く彼自身パスポートの更新以外ではほとんど母国へ足を踏み入れることはなく、ベネズエラを出てからは主に欧州を転々としていたこと。ベネズエラは反米国家の為ベネズエラ人がアメリカに入国するのが難しいことから他者を利用するしか方法がなかったこと。彼自身はおそらく自分が心から母国と呼べる安住の地が欲しかったのだと思います。それならそれでエレナとともに申請していたスペインの永住権を取ってスペインに住めばよかったのですが、自分とエレナの幸せではなくアメリカへの移住が目的化してしまったことからエレナに本当のことを告げられず結果相手を傷つけてしまうことになりました。尋問の中でエレナがバスケスに対して何故同じことを何度も繰り返し聞かれるのか、と聞いた際に「新情報がありその情報と照合している」という話がありましたが、おそらくディエゴが婚約していたアメリカ人情勢がディエゴの情報を通報したためではないかと考えます。であるならばディエゴはその女性に対して国際ロマンス詐欺的なことをしていたのではとも考えられ、境遇はともあれ彼に同情することはできなくなります。そのことも含めてエレナに打ち明けていればよかったのに。
この映画ではエレナは本当にかわいそうとしか言えません。特にひどいのは途中から合流してきたバレット審査官とのやり取りで、スペインでダンサーをやっていたエレナに対して「この場で踊ってみろ」という要求をします。エレナがそれを拒否すると、それが理由で入国的なくなると脅し、エレナがそれに屈して踊ろうとしようとしたところ、「もういい」とそれを止めてしまいます。また二人別々に分けて尋問しているときも二人を辱めたり二人の間の不信感を煽るような質問を繰り返し、これは入国審査ではなく完全に嫌がらせ以外の何物でもなく見ていてとても嫌な気分になりました。もっとも気分が悪くなるからと言ってこの映画が嫌いになるということはなく、こういう感情を観客から引き出す会話劇の運びは見事だなと思います。
そしてマイアミ行きの飛行機を逃し、お互いの間の信頼関係が完全に崩壊した後で最後に二人がカウンターに呼ばれます。そこで入国拒否されて出発国へ送り返されると思いきや、二人のパスポートにスタンプがリズムよく押され、最後に職員から「Welcome to America.」と言われて唖然とする二人のカットを最後にこの映画の幕が降ろされます。さんざん二人を追い詰めておいて結局入国許可するのかい、と突っ込んでしまいましたが、このいやに切れ味のいいオチで思わず笑ってしまいました。いや、本当に気持ちがいいほど救いがなくて。そしてエンドロールで流れてくるKevin Robert Morbyの「Congratulations」がそんな気分に追い打ちをかけてきます。
おめでとう
おめでとう
君は生き残った
ああ、君はまだ生きていたんだね
この世は殺人者だ
ああ、なんて暴動なのだろう
毎朝起きるためだけに
ただ目を開けるためだけに
実はこの歌は冒頭のタクシーの中でもかかっていて、ちょっとレイドバックした60年代ポップソングみたいなノリなのに歌詞はなんか不穏なことを言っているな、と思っていたのですが、まさかこの歌が最初から二人の運命を暗示していて、また最後の最後で全く言われたくないおめでとうで〆られるとは本当に後味が悪くて完全に打ちのめされてしまいました。旧エヴァの「おめでとう」に匹敵するもやる言祝です。
最後に
先ほどからネガティブな感想ばかり言っているように見えますが、私はこの映画が大好きです。それはこの映画には77分という短い時間の中でいろいろと語りたいこと、考えたいことが次々と浮かんでくるからです。例えばおそらく南米系だと思われる入国審査官バスケスですが、彼女が入国審査で彼らにきつく当たるのは不法入国者が増えれば増えるほど米社会での彼女への風当たりが強くなることもあるでしょうし、途中からバレット審査官が入ってくるのはバスケスが同じ南米人であるディエゴに手心を与えないかを監視する役割があり、そのためバスケスもディエゴに対してさらに苛烈にならざるを得ないということもあるかもしれません。それからトランプ大統領がどんなに声高に不法移民排斥を訴えて入国審査を厳しくしたところでアメリカは法治国家なのでどんなに水際で嫌がらせのような尋問を課したとしても申請書類・審問に不備がなければ入国を許可せざるを得ないというところも皮肉が効いていると思います。だったらそこまで労力かけてネチネチとやらなくてもいいのに・・・。とにかく観たらいろんなことを話したくなるこの映画はおススメです。夏休み中にお暇なら是非映画館でこの映画を観るとよいでしょう。
あと、私はこの映画のパンフレットのデザインがとても気に入っています。パスポートに押される入出国スタンプを模したデザインとノートの色とサイズがバスケス審査官が劇中で持ち込んでいるノートとそっくりで思わずニヤッとしてします。

以上
コメント